実家の整理や遺品整理で見つかった「川瀬巴水(かわせ はすい)」の木版画。
「ただの古い絵」だと思って処分しようとしていませんか?
もしそれが、ある特定の条件を満たす「初摺」であれば、1,000万円を超える美術館級の価値を持つ可能性があります。
事実、2024年7月11日〜18日に開催されたサザビーズ(Sotheby’s)のオンラインセール『Japanese Woodblock Prints』において、巴水の希少作《大阪 天王寺》(Lot.42)が出品され、落札手数料(Buyer’s Premium)込みの総額で約1,700万円( ※当時レート)という驚異的な価格で落札されました。 これほど高額になった背景には、作品自体の希少性に加え、最高ランクのコンディションが評価された事実があります。

もちろん、これは市場の頂点にある例外的な事例です。しかし、一般的な作品であっても「数千円」か「数十万円」かの分かれ道は、非常にシビアな鑑定ポイントに隠されています。
本記事では、美術品の買取・査定を専門に行う筆者の視点から、川瀬巴水が高騰する構造的な理由と、プロが現場で見ている「決定的な鑑定ポイント」を包み隠さず解説します。
なぜ海外で強いのか?「新版画」市場の構造と渡邊庄三郎
川瀬巴水の評価が国内よりも海外で先行しているのは、偶然ではありません。
これは「新版画」の版元である渡邊庄三郎(わたなべ しょうざぶろう)が主導した、戦略的な市場開拓の結果です。
浮世絵の復興と「海外戦略」の共有
江戸の浮世絵が衰退した後、渡邊庄三郎は「西洋画の陰影」と「浮世絵の木版技術」を融合させた新しい芸術「新版画」を提唱しました。
渡邊と巴水は、外国人が好む「日本的な旅情・風景」を描き出すという海外需要を強く意識した制作方針を共有しており、当初から欧米マーケットへ積極的に輸出を行いました。
この歴史的経緯から、良質な初摺の多くは欧米に渡っており、現在の市場評価も欧米のオークション実績が基準となっています。
2022年以降の「歴史的円安」による加速
さらに、2022年以降の歴史的な円安水準が相場を押し上げました。ドルを持つ海外コレクターにとって、日本国内に眠る作品は「割安」に見えるため、良質な個体が次々と海外へ流出し、国内買取相場の底上げを引き起こしています。
川瀬巴水の買取相場を分ける「初摺」と「後摺」の違い
同じ絵柄でも、摺られた時期によって価値は天と地ほど異なります。その境界線となるのが「関東大震災」です。
関東大震災による「版木の大半焼失」
1923年(大正12年)9月1日の関東大震災による火災で、渡邊木版画店の店舗と工房が全焼しました。この時、避難できたごく一部を除き、大正期の版木の大半が灰燼に帰したのです。
そのため、震災前(大正期)に制作された作品は、物理的に再生産が不可能な「オリジナル」として極めて高い希少価値を持ちます。
「作家監修」の実質的な意味
版画における「初摺」とは、一般的に作家の管理下で制作された初期のものを指します。
巴水の場合、版元・渡邊庄三郎の厳しい品質管理のもと、絵師(巴水)・彫師・摺師の三者が協業して制作しました。この時期に摺られたものは、画家の意図した色彩やグラデーション(ぼかし)が最も忠実に再現されており、市場価値が最も高くなります。
川瀬巴水「初摺」の見分け方:渡邊木版画店の印と紙質
「私の持っている作品はいつの時代か?」
これを判断する上で、作品の余白や画中にある「版元印(スタンプ)」が第一の手がかりになります。
※以下の年代特定は、主要な関連文献および筆者の取引経験に基づきます。
Kendall H. Brown: Kawase Hasui. The Complete Woodblock Prints, Amsterdam 2003.
① 戦前の印(高額査定ゾーン)
- ワタナベ印(各種): 震災前の楕円形や長方形の印。極めて希少です。
- C印(ソーセージ印): 1929年〜1942年頃。カプセル型の印。
- D印(6mm印): 1931年〜1941年頃。直径6mmの円形印。
- 補足: C印とD印は使用時期が重複しており、作品のサイズやシリーズによって使い分けられていました。どちらも戦前の良質な摺りを示す重要な印です。
- E印(7mm印): 1942年〜1945年頃。直径7mmの円形印。
② 戦後・後摺の印(評価が分かれるゾーン)
- 6mm印(戦後): 実は「6mm印」は戦後(1946年以降)にも使用されています。ここが素人判断の最も危険な落とし穴です。
- 7mm印(黒): 1957年以降(没後など)に多く使われた黒い印。
【重要】プロは印だけで判断しない。紙質と摩耗を見る
「6mm印だから戦前の高額品だ」と即断するのは危険です。実際の査定現場では、印の形状に加え、以下の要素を複合的に見て判断します。
- 紙質の差(繊維と白色度): 戦前の和紙は楮(こうぞ)の繊維が太く、紙の縁(耳)に自然な繊維の立ち上がりが見られます。裏面から光に透かして見た時、繊維が不規則に絡み合っているのが戦前紙の特徴です。一方、戦後〜平成の復刻版の紙は漂白が進んでおり、不自然なほど白色度が高く、表面が平坦になりがちです。
- 裏打ち(うらうち)の有無: 版画の裏に補強のための薄い和紙が貼り付けられている状態を「裏打ち」と呼びます。裏打ちがされていると、紙の本来の繊維が確認しづらくなる上、「過去に破れや折れがあったのを隠している」可能性も疑われるため、評価額が下がる要因となります。
- 版木の摩耗: 何百回と摺りを重ねると、木版の角が摩耗します。特に「屋根瓦の重なりの輪郭」や「雨を表す直線のエッジ」に注目してください。初摺の鋭利な線に比べて、後摺は線が太くボヤけ、細部が潰れた印象になります。
川瀬巴水 買取相場の目安
現在の市場動向を反映した現実的な買取レンジです。
※以下の価格は「通常サイズ(大判)」「人気図柄」「シミ・退色のない優良コンディション(状態Sランク)」であることを前提とした中心レンジです。
| 作品区分・条件 | 想定買取価格レンジ | 備考 |
| 【例外】震災前・希少図(初摺) | 300万円 〜 1,000万円超 | ※サザビーズ実績(1,700万円)はこの区分の上限すら超える特異な例外事例です。 |
| 震災前作品(標準的な初摺) | 100万円 〜 300万円 | ※多くは100万円未満に収まりますが、状態が極めて良好な個体はこのレンジに入ります。 |
| 戦前摺り(D印・E印)の良品 | 20万円 〜 60万円 | 図柄により価格に2倍以上の開きあり |
| 戦後摺り(昭和中期) | 3万円 〜 10万円 | 安定した需要あり |
| 平成復刻版・お土産品 | 数千円 〜 1.5万円 | インテリアとしての価値 |
査定額を左右する「図柄」と「状態」の厳しい現実
- 図柄による格差: 同じ年代(同じD印)の作品であっても、人気の「雪景色」「雨」「夜景(巴水ブルー)」と、日中の明るい風景画では、買取価格に2倍以上の差が出ることが珍しくありません。
- コンディションによる減額: 軽微なヤケ(日焼け)でも20〜30%の減額。空の青色などが飛んでしまっている「明らかな退色」や、前述の「裏打ち」がある場合は大幅な減額対象となります。
木版画における「エディション」の考え方
現代版画のような「1/100」といったエディションナンバーが無い新版画において、「印の変遷」は実質的に制作年代を特定する指標として機能します。
「D印が押されている」ということは、現代アートで言う「1930年代の限定エディション」に近い意味を持ち、これが骨董的価値を担保しているのです。
まずは「現在の価値」を知ることから
川瀬巴水の市場は現在、かつてない活況を呈していますが、その恩恵を受けられるのは「正しい鑑定」を経た作品のみです。
ネット上の画像比較だけでは、紙の繊維の見え方や、印の微妙な直径(1mmの差)、そして「裏打ち」の有無による減額幅までは正確に判断できません。自己判断でリサイクルショップ等に持ち込み、二束三文で手放してしまうのは、資産を捨てるのと同じことです。
お手元の作品の真の価値を知るために、まずは新版画の取引実績が豊富な専門業者による「無料査定」をご利用ください。 スマホで撮影して送るだけの「LINE査定」であれば、ご自宅にいながら概算の価値を知ることが可能です。もちろん、「売るかどうか迷っている」「とりあえず金額だけ知りたい」というご相談も歓迎しております。
万が一、査定の結果、数百万クラスの極めて希少な個体であると判明した場合は、通常の買取だけでなく、海外市場を見据えた「オークションへの出品代行」も視野に入れると良いでしょう。


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